コラム1002、通所系の福祉施設が自粛休業をしない|できない理由

通所系の福祉施設は活動自粛要請の対象になっていません。専門家会議では「医療面と経済活動面とのバランスをかんがみて、外出を8割減らせばもっともダメージが少ない」としていて、この8割のなかに通所系の福祉施設は統一して組み込まれることにはなっていません。

どういうことかわかりやすく説明します。


 

いちばんわかりやすく説明できるのは、お年寄りのデイサービスです。

今その現場で起こっているのは、コロナに感染して命を落とすリスクと、通所しなくなったことで削られる命のリスク、その切実なせめぎあいです。

 

デイサービスに通うお年寄りの多くは認知症をもっていて、食事・排泄・入浴に、あとは適切な運動と頭の体操、のような支援を受けています。

 

介護に深く触れたことのない人はデイサービスのことを、お年寄りが集まって楽しく過ごす平和でにこやかな場所、としかイメージできないかもしれません。そのイメージは半分は合っています。

 

残りの半分は、そのイメージに反してまさに『戦場』です。お年寄りは増え、介護は人気職でなくいつでも人材不足、ひと昔まえであれば入所系の介護施設に入っているような介護度の高いケースでも、デイサービスでなんとか対応しなきゃ、という様相になっています。

 

食事が不足すれば栄養面から、食事介護の見守りが不足すれば嚥下力の低下から窒息の危険が、排泄の失敗が続けば悲しみのショックから認知症が脳の萎縮がさらに進行し寿命が縮むリスク、皮膚状態が清潔でなく荒れたらそこから皮膚疾患やら炎症やらをしたり褥瘡ができやすくなったり、などなど数多の危険から命の光を守る戦場です。

 

でも介護施設、よく潰れてね?と思う人もいるかもですが、あれはノリで建物とお金をもっている人がなんの思想も知識もなく始めちゃった介護力のない介護施設が潰れているだけ、あるいは人事考課が下手くそで人材を確保できなかった施設が人員不足で潰れているからです。

いま残ってるのは、差はあれどそれなり以上には介護力があり、ちゃんと戦えるデイサービスです。

 

話がちょっとずれた。

 

このデイサービスの役割、自宅で担えますか?という話です。

ちゃんと担える機能がある家庭|デイサービスに頼りすぎずともなんとかなっている介護度のお年寄り、はそもそもデイサービス利用者には少ないのです。

介護する側もお年寄りであったり、今まで介護技術に触れてこなかった人が家族であったりします。

体のしくみについて学んでいない人が、体を起こしたりする手伝いをむりにすると、脱臼や骨折をさせてしまいます。

大好きだったお父さんお母さんお祖父ちゃんお祖母ちゃんが1分おきに同じ質問を繰り返したり、脳の萎縮から人格も変貌してしまったり、昼夜逆転して騒ぐようであったり。誰のせいでもなくそういうふうなありようになった愛しい人と24時間いることが、どれほどの精神的な負荷になるか。経験した人ならわかるはずですし、未経験であっても全力で想像してほしいです。あるいは家を飛び出して車にひかれてしまうリスクも。

だから今その現場で起こっているのは、コロナに感染して命を落とすリスクと、通所しなくなったことで削られる命のリスク、その切実なせめぎあいです。


 

ひるがえって障がい福祉サービスではどうでしょう。休業即すなわち命の危険、とは福祉職にいないひとは想像しづらいのかもしれません。

 

ただし起こっている命のリスクとまた別の命のリスクのせめぎあいはの態様は、ほとんどデイサービスの態様と一緒です。

 

自分の事業のことを話したほうが説明しやすいので、こころねのことで説明をしますね。

 

こころねの利用者さんは現在102人います。

そのほとんど、96%は、精神科専科の病院への入院歴が1年~20年ほどあるひとです。

 

精神科への入院はどういうときに起こるかというと、症状が深刻化したとき、自傷他害(自分のことを傷つけるないし困らせる、他者のことを害する)の発生がある状況になったときです。

ここで書ける範囲では、飛び降りや超オーバードーズによる自殺企図、物や壁を他者の所有物を壊した、よその家に怒鳴りこんだ、人を殴った、人を刺した、などのエピソードがあるひとが、こころねの利用者さんにはそれぞれ複数います。

今は別の施設へ行き現役の持ちケースではありませんが、かつて放火や撲殺などで他者の命を奪った歴のあるひとを担当したことも数回ありました。

 

ただし医療と福祉が専門的知識をもってタッグを組んで援助すれば、これらは必ず防げる事象です。

その証拠にこれらのエピソードをこころねを利用してから発生させたひとは1人も居ません。

発生せずともちょっとリスクが増大したかな、と再入院になり戻ってこなかった、というひとですら、この5年で2人だけ、こころねを卒業したひとを合わせると120人中2人だけです。

 

*ちなみに「あぶなっかしいな、ずっと入院してればいいのに!」というのは筋違いでして、人権面の問題ももちろんありますがそれをいったん置いといて考えても、地域の病院の病床数も病棟スタッフのキャパも限られているので、上記の『医療と福祉が専門的知識をもってタッグを組んで援助すれば自傷他害は防げるであろう』というケースが退院にならないと、今まさに自傷他害してますよって人が入院できなくなっちゃいます。

*それにそういう「あぶなっかしいこと」については、受けるべきであった医療や福祉のサポートを受けなかった結果として起こってしまう事件があるよ、そういう取りこぼしがないように国も行政も地域も我々も日々意識して工夫しなきゃね、というのが我らの願い、想いです。

 

この『医療と福祉が専門的知識をもってタッグを組んで援助』をわかりやすく1つ示すならば、服薬加療と生活リズムの整え、です。

いまの精神科医、精神薬は日々かなり進化していて、量ではなく質、むだな投薬はせずに必要範囲で適宜、というドクターのほうが増えていますし、副作用がすくない効果的な薬も開発されています。

ただどんなに服薬加療が進化しても、それを受け止める体と脳に1日の活動と休息の健全なリズムが整っていないと、本来の治療効果が発揮されず、上述の自傷他害のリスクが跳ね上がってしまいます。

 

日中活動をする=利用者本人や地域住民の命を守る、といえるのです。

たかが数日、日中活動をしないことでそんな大げさな。ではないのです。業界人で数多のエピソードを経験してきたプロであればあるほど、1日1日の日中活動の積み重ねを、その維持の価値を、リズムの脆さを知っています。

 

ただただ経営面で見れば、弊法人はしばらく利益がなくても安泰、揺らぎはしません。しかもおれ個人は5年間ほぼ年中無休なので休みたくて休みたくてしかたありません。ちゃんと起きる時間を気にぜず寝てみたいもんです。

だけれども、これらの背景がある、営業の自粛も命の危機をもたらす、ゆえにまだ止まれないのです。

もちろんこのお金はがんばってくれている職員への対価として、あるいは利用者さんの過ごす環境の充実感のためのお金であった、という悔しさももちろんありますが。

 

繰り返しますが、やっぱりここでも『今その現場で起こっているのは、コロナに感染して命を落とすリスクと、通所しなくなったことで削られる命のリスク、その切実なせめぎあいです。』と言えるのです。

当然ですが、どこも予防策も立てれるかぎり立てていますよ。


 

 

と、こういったところです。

 

どうか想像力をもって、わたしたち福祉人を虐めるのは控えてくださいね。

 

ときどき見かける「デイサービスの職員です、うちの施設も休業すべきだと思います!」という意思表示は、こういう背景も汲みとって、バランスよく受け止め思慮してほしいものです。


 

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