よく訊ねられる『高齢者介護と障害者福祉の違いについて』について記します。

先に保険をつくっておきます、わたしは山形県庄内圏域においては精神障がい福祉の実践においての第一人者だくらいの自負があります。が、高齢者介護や知的または身体障がい領域でもキャリアはそこそこあるけれども第一人者では絶対にありません。また福祉のひとであって、そこらの福祉従事者よりはよほど勉強しているとは思いはしますが医師でも看護師でもないので医療面の見地からはここでは語りません。
ただある程度の経験と勉強を高齢者介護と障害者福祉でしてきた歴があることと、創業社長だからか表題のような問いをよく受けるので、主観として記すものです。

問いを受けるのは、介護→障がい領域へ転職を考えている人から、あるいは今までまったく福祉畑に縁がなかったけれど福祉職への転職を考えている人から、が多いです。
あくまで参考のひとつとなれば。

まず共通しているのは同じ福祉のジャンルである以上、
100かゼロか捉えるのが良からぬことであることは共通と考えています。
関連;こころね主義の基本「100かゼロはあまり良くない」

そしてこれらを読んだあとのほうが読み進めやすいかなと思います。
関連;この世に福祉が必要な理由
関連;そもそも『障がい』とは
結論を最初にまとめてしまうなら

高齢者介護は脳と体のタフさ勝負。
障がい者福祉は脳の柔軟性と受容力とタフさ勝負。

高齢者介護は尊厳ある安らかな最期へ向かっていくこと、それまでの日々をその人らしく(穏やかにあるいは充実感をもって)過ごしてもらうこと、が利用者さんとの共通目標となることが多い。
障がい者福祉は短期間で就労をめざしたい|いずれは就労したい|就労できるようになるならしたい|就労はせずとも穏やかに日々を過ごしたい|楽しく日々を過ごしたい|苦痛のない日々をおくりたい…と目標設定じたいのありようが色とりどり千差万別。

高齢者介護においては、わずかな失敗や見逃しにより利用者さんを命の危険にさらしかねないリスクが高い。
障がい者福祉は、それに比べれば命の危険まで直結するようなリスクはやや低い。

といったところです。
高齢者介護において主たるところは、身体機能の衰えに対する介護と、認知症による困りごとへの対応です。
誤解をさけるために言いますが、高齢者介護は体力勝負だなんていって単純よばわりするつもりはないです。
認知症とひとくくりにはできず、アルツハイマー病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、ピック病など、認知症といわれるものにはタイプがあって、症状も違うし、必要なあるいは効果的なケアのしかたも違います。
参考;https://www.dipex-j.org/dementia/topic/symptom/type

ただし「尊厳ある安らかな最期へ向かっていくこと」「それまでの日々をその人らしく(穏やかにあるいは充実感をもって)過ごしてもらうこと」という大目標がほぼすべての場面で共通している。というのは対比として示せると思っています。
自然と、やることは決まってくるからです。

つまりは、よい感じの食事と、よい感じの入浴と、よい感じの排泄です。有名な3大介護というやつですね。
これに必要な医療ケアと、ケガや窒息のリスクさえアテンドできれば、「尊厳ある安らかな最期へ向かっていくこと」「それまでの日々をその人らしく(穏やかにあるいは充実感をもって)過ごしてもらうこと」へは間違いなく近づくことができます。
よい感じの食事と、よい感じの入浴と、よい感じの排泄、になる前と後では、その人のキラキラ感が全っ然ちがいます。自然に笑顔がふえ、意思疎通も増えます。
そこから先は、正直オプションだと思います。
その介護施設が『よい感じの食事、よい感じの入浴、よい感じの排泄』をどう捉えてどう提供しているか、がその施設の腕のみせどころだと思います。もちろんオプションが決め手になるときだってあろうけどもね。

そして、介護施設には命の危険が常に近くにあります。危険認識や判断が衰えてくるのは高齢者がさらに加齢すれば当然であるうえ認知症が進行すればなおさらです。体も衰えますから転倒などのトラブルが大けがに繋がりやすいし、その大けがのせいでますます認知症が進行する、という負のシナジー効果があります。
それゆえ服薬の漏れが誤薬がないように努める緊迫感も、障がい福祉のそれとは段違いです。当然ですよね、便の促進のための座薬を間違って違う人にさしたら血圧急降下して死んでしまうおそれは若者よりずっとあるし(自身の実話、ただし大事には至らなかった)、血圧を上げる薬を間違って普段血圧を下げる薬を飲んでいる人に服させてしまったら命の危険があります(もと同僚の実話だけどこれも大事には至らなかった)。常にヒヤヒヤどきどきします。
食事すら命の危険ありますからね。食事動作が自立でいつもは刻み食の利用者さんに誤って普通形態の食事を出したら、のどにつまって…なんてリスクも。

あとは、病識の違いも挙げられると思います。
認知症は進行を緩やかにはできますが完全に元通りの脳の機能を取り戻すことはできず、認知症は進めばたいていの場合は病識(自分が認知症であるという認識)を失してしまいます。
ただしそれゆえもあって、おそらく歳を重ねた人間の過半数が望むであろう「尊厳ある安らかな最期へ向かっていくこと」「それまでの日々をその人らしく(穏やかにあるいは充実感をもって)過ごしてもらうこと」をこの人もきっと望んでいるはずだ、と信じてそれを介護の目標に据えやすい、というのもあるだろうと感じています。
だから、障がい者福祉に比べて高齢者介護は、
・抱く目標に統一性がある。
・命の危険や体の重大な損傷にさらしかねないリスクが高い。
ゆえに、『脳と体のタフさ勝負』な仕事だと思うわけです。

障がい福祉において主たるところは、とはひとくくりにはなかなかできないです。
強いて言えば『困っていたり誰かを困らせてしまっている状況を解消・緩和する』なのだと思いますが、
関連;そもそも『障がい』とは
括る範囲が広すぎて括りとも言えないような括りです。

重ね重ね、高齢者介護は体力勝負だなんていって単純よばわりするつもりはさらさらないですが。障がいのありようはさらに、さらに複雑。だと思っています。
指標としては弱すぎですが、あの某ウィキペディアの記述のボリュームを比べると、
「認知症」のページはA4で16枚分で、
対して精神障がいの一部にすぎない「統合失調症」のページだけで24枚分で…
とさらに関連記事を比べていくと、障がいやその背景となる疾病の記述のほうが、高齢者介護やその背景となる疾病の記述に比べて圧倒的に多いんです。

…いや、これ全然明確な指標にはならないことは承知のうえで、困りごとの背景とか困りごとの現われかたの種類というかパターンが、高齢者介護より障がい福祉のほうが圧倒的に多くて、パターン化とかテンプレート化がすこぶるに難しいくらい、これくらい差がある感覚なんです、わたしにとっては。

しかも目標も個々にてんでバラバラです。ある程度の区別というか傾向わけはできますが、介護にあるような統一感はありません。
その統一感がない個別性の強いの目標に向かっていくには、援助のありようの個別性も強くあらなければならないです。
言葉づかいが荒かったとき、就職を目指しているひとには言葉づかいを良くするよう助言が要るけど、就職を目指してないひとへの助言はそれほど指導色は強くなくていいんじゃないか。というふうに、ぜんぶが人ごとに別々になってきます。
もちろん穏やかな暮らしのためには介護と同様に食事、入浴、排泄は欠かせませんが、障がい領域の場合は元々の自力があったり高齢者介護ほどにはナイーブにならずとも命の危険までは若さゆえに至りづらかったりして、介護に比べれば食事、入浴、排泄が確立されたそのあとのオプションのほうがこれからの長い人生においての重要性が高かったりします。

病識の濃さ薄さやその変遷にも統一感はありません。
自分にはこのような症状があるな・このような特性があるな・こういう困りごとを抱えているな、という自身の現状への理解度は、個人個人で濃さ薄さが全然異なるし、理解が進んだり失ったり戻ったりします。

だから障がい者福祉は高齢者介護に比べて
・脳の柔軟性と受容力とタフさ勝負(体力はそんなに要らない気がする、けど本来まともな仕事できるようになるにはめっちゃ勉強しなきゃなんない)。
・個別性をより濃く考える必要がある
と思っています。
これね、看取り介護を実施している特養と、まだまだ元気なご老人が通うようなデイサービスではテイストが異なるし、重度の身体障がいに対する仕事内容は介護に近いのでは?と思うのがナチュラルなことなのですが、そこのところはもちろん100かゼロかで括れる話ではないのでね。
関連;こころね主義の基本「100かゼロはあまり良くない」

たしかに元気なご老人が通うようなデイサービスでは特養に比べればここに記したような障がい分野の特色にやや寄るでしょうし、重度の身体障がいへのケアと高齢者介護に類似性はあります。
でもやっぱり元気なご老人も若者に比べればずっと「尊厳ある安らかな最期へ向かっていくこと」「それまでの日々をその人らしく(穏やかにあるいは充実感をもって)過ごしてもらうこと」という目標に寄り続けていくでしょう、重度の身体障がいの拘縮などの体の特性は高齢者の加齢による動かなさより個性の色がやっぱりまちまちなので、おおまかな特色としてはこんな感じになるんじゃないかな。