コラム毒舌番外編1【閲覧注意】相模原「やまゆり園」での事件と自分は無関係と思っているあなたへ。

相模原障害者施設殺傷事件について、その2です。

 

その1はこちら。

関連;論理的な命そのものの価値の証明、相模原「やまゆり園」での事件につき。

 

福祉と自分とは縁遠い、と思っている人らにこそ読んでいただきたい。

 

あの事件は、おまえたちが起こしたも同然だ。とわたしは言いたい。

 

福祉はなぜ必要と思いますか?

 

福祉がないと、街が・社会が・国が滅びるからです。

関連;この世に福祉が必要な理由

 

*↑に書いたことから引用しながら書き続けます↓

 

福祉がないと街が・社会が・国が滅びる。

これは、高齢者へ介護にも、障がいへのサポートにも、共通して言えることです。

福祉がなければ世界は滅びます。

 

例えば、国が介護サービスの充実へ向けて動かなければどうなるでしょうか。

ケアを受けられない軽度の認知症の高齢者が街にあふれ、そのひとが運転する車は高速道路を逆走してしまったり、横断歩道を渡る人に気づかずぶつかってしまったりするでしょう。

 

あ、もうなってましたね。そういう世界に。

 

単純統計でも65歳以上の7人に1人は認知症、19人に1人はうつ病、100人に1人は統合失調症です。

122人に1人は交通事故を起こし、その事故で後遺症が障がいとして残るリスクがあります。

自身の出来事でなくても、これらの福祉的事柄から自分・家族・恋人・友人・仕事…とすべての領域で無関係で一生を完遂するひとが、いったい何人いるのでしょう。宝くじ1等より確率は低そうです。

 

人は福祉とは無縁で生きられません。

 

こういう「福祉は大事だよ」話をすると対義っぽく出てくるのは「なにをいうか、経済を豊かにすることが優先だ!」という論でしょう。

 

じゃあ、世界全体を豊かに幸せにするような起業家、あるいは発明家でしょうか、そんな天才が生まれて、すくすくと成長したとします。

その天才の家に、手のかかる認知症の家族がいたり、重めの症状がある統合失調症の家族がいたりして、その家族が国から十分な医療&福祉のサービスを受けられずにずっと家にいて、そのお世話をその心優しき天才が担うことになったら?

はたしてその天才は、世界を幸せにするその力量を十二分に発揮できるのでしょうか。

 

つまりはそうです。

福祉は、経済を支えるひとを支えるものでもあるのです。

 

福祉があるからこそ、街は・社会は・世界は続き、発展・進化し続いていくことができるのです。

 

だから本来、福祉は国の仕事です。

だって福祉のない国は滅びます。

 

「介護は家族の役割」だの洗脳したがる国とメディアにだまされないでください。

それはもちろん協力的な家族がいることはとっても助かることですが、過剰な負荷を家族に求めるのはお門違いです。

もともと核家族化が進んだのは=家族の介護力がなくなったのは、国の経済政策のせいです。

国が家族システムを解体させた、そのうえで国のお財布が厳しいなんて言って「福祉は家族にも多くを担ってもらおう」なんて、理不尽の極みです。

だまされないでください。

 

先述に戻ると、車の運転能力が落ちてリスクがある高齢者の移動手段を用意するとか、あるいは他の方法で危険な運転をしなくてもいい仕組みをつくるのは、その責任は本人や家族ばかりにあるのではありません。

これはまちがいなく福祉の領域の任務です。つまり国の役割でもあります。

 

その役割をさぼった国のせいで、轢き殺されるひとがいます。

さらにそれを隠れ蓑に、責任能力から逃れようとする輩もいるのかも知れませんね。上級国民だとか話題になりましたが、結局帰結するのはここに記された論だと思っています。

 

責任を考えるべきは当該個人ばかりではないのです。

国のこの、わたちたちの無知や考えなしをバカにしているような福祉軽視をもきちんともっと責めるべきです。

 

ただし、国は、わたしたちひとりひとりの一票と意識とで出来ています。

 

責任は、誰にあるのか。わたしたちひとりひとりにあるんです。

 

数なんかでは薄まることなく、平等にのしかかる、重い責任です。

 

現実から逃げてんじゃねーよ、バカどもが。

 

話は相模原障害者施設殺傷事件でも同じです。

 

犯人には精神疾患があり、入院歴もありました。

 

それを知ったときおれが思ったのは、「ああ、おれが相模原に居たとして、この犯人に関わる仕事をしていたとしたら、この事件を防げたろうか」でした。

 

それを思っても答えは出ません。

 

ただ、『おれのようなちゃんと知識とキャリアと熱意をもった福祉業人が、事件前に犯人の周りに3人いて関わりをもっていたとしたら、こんな事件が発生するような事態を防げる可能性は高まっていた』これは当時も今も確信しています。

 

そしておれは、特別な人間ではありません。

普通に福祉を学び、普通に福祉を仕事として実践してきただけです。

 

そんな普通の福祉業人が、なぜ事前に犯人の周りに3人いなかったのか。

いたら防げたかもしれないのに。

 

わたしの答えはこれです。

 

『国が福祉を軽視したせいで、福祉に金を出さなくてもいいって考えているせいで、福祉業には十分な報酬がないせいで、優秀な人材が集いづらいから』

『だから普通の福祉業人すら犯人の周りに3人集まらなかった』

『だからあの事件は起こった』

 

国は、わたしたちひとりひとりの一票と意識とで出来ています。

 

『国』=あなたです。ちゃんと逃げずに考えろよ。人殺しども。