こころね主義の基本「100かゼロはあまり良くない」という話をします。

例その1;
40メートルなら安全にひとりで歩けるけれど、41メートルからはふらついてそれ以上進むのは危ないぞ。という人が、100メートル進みたいと思っている。とします。

これに100かゼロかで臨んでしまうとどうなるかというと、

100のお手伝いだと『最初から車いすを使おう』となって、安全に移動することはできるけれど、筋肉はどんどん衰えていってしまいます。これはあまり良いとは言えません。

ゼロな対応だと、41メートルからも自分で歩いて!ということになるでしょうか。これは筋肉は鍛えられそうですが、転んで骨を折ったり交通事故にあったりしたら大変です。

この限定された設問においては、『40メートルまでは歩いてもらって、そこからは何らかのお手伝いを』というのが最適解に近いでしょうか。

この『真理や最適解は100かゼロかではないどこかにある』というのは、障がい福祉のすべてを貫く基盤だと思っています。
そして、この世界のすべてを貫く基盤だとも思っています。いますが、わたしの専門性は障がい福祉であって、この世界のことをそこまで知りはしないので、思っていますという言及に留めておきます。

障がい福祉の領域で他に例えを出すと、

例その2;
精神疾患や精神障がいの原因はなんなのか?という問に対して、の最適解は
「原因は本人」「原因は家族」「原因は環境」「原因は生まれ持っての脳の性質」「原因はストレス」「原因は遺伝子」という100かゼロかのズバッっとした答えはありません。
関連;そもそも『障がい』とは
それでもあえて括るなら「すべて関係あると言えます」です。

例その3;
A「障がいなんて、この世に無い!」
B「この世の困りごとのすべては『障がい』となりえる」
C「私ちゃんと働けてるし、家族もいる。『障がい者』って呼ばれたくない!」
D「眠りたいのに、ぜんぜん眠れない。わたし変なのかな…」

というAさんBさんCさんDさんがそれぞれいたとします。

CさんにとってAさんの考えは救いになりえるかもしれません。
DにBの「それは不眠症、睡眠障がいっていうんだよ」という言葉は安心をもたらせるかもしれません。

でも、CにとってBの考えかたは毒になりえます。
DさんにとってAの考えかたは横暴です。

AやBのような100かゼロの言い切りは、わかりやすくてスッと入ってきます。脳が楽だから、脳はさぼりたがるから、こういう100かゼロの言い切りに脳は飛びつきます。
売れる曲の歌詞には極端で刺さる言い切ったものが多いのも、Twitterの140字が拡散されるのも、脳が楽してさぼりたくて飛びついているからです。
でもAやBのような100かゼロの考え方&物言いは、個別性をちゃんと考えないとさっきの例のように誰かを傷つけます。

不特定多数に発する『100かゼロ』は、誰かを救うかわりに誰かを傷つけるもので、そんなものは福祉じゃなく、もはや戦争の思想です。

ただし、100かゼロの考え方&物言いにつきちゃんと個別性を考えたなら、その人を救えるかもしれません。
それが簡素化とか明確化とか、そういった援助技術になっていきます。

100かゼロかで括ったり考えたり発したりが良い効果を生む場面は限定的で、それを意識せずにはしないほうがいいよ。という話でした。

だがしかし、100かゼロかではなく考える、というのはとても疲れるし、あまねくこの世の全てをそうやってバランスよく考えるのは不可能です。

不可能っていうのは、人間の脳には当然、性能の限界があるからです。

*こういう事柄に関して「限界なんて思い込みだ」「気合でなんとか」というタイプのひともいますが、そういう人とは離れたほうがあなたの心身のためにはよいと思います。
関連;精神障がいを深刻なものにしないために論(執筆中)

100かゼロで考えずに深くバランスよく考えるのは、すごく疲れるので、人の脳は100かゼロの思考を好むし、100かゼロかの物言いを好みます。
100かゼロかの思考や物言いへ「逃げる」「思考をサボってる」とも言えます。
だからTwitterの140文字で書かれた極端な主張へ脳は喜んで飛びつきます。大切なことが140文字で書ききれるわけないのに。ビシっと言い切った歌詞の唄は心に刺さります、売れます。これは刺さって嬉しけりゃ聴けばいいし、聴きたくなきゃ耳を塞げばいいだけだから。

この脳の『100かゼロの論にご馳走だと思って飛びつく』機能は悪いことばかりではなくて、脳のパンクを防ぐための機能でもきっとあるのでしょう。

ここで2つまとめるとするなら、

・大切じゃないことなら100かゼロで考えていいけど、大切なことは100かゼロかで考えるべきじゃない

・不特定多数でなく個別に、脳をいたわり脳へ優しくすべき局面では100かゼロの伝えかた&受け取りかたは効果的だけれど、それは真理とか明細な事柄からは離れてしまう弊害もはらんでいる
*これは100かゼロかの論のメリットデメリットをちゃんと理解すれば、援助技術として活用できます、ということです。
関連;精神障がいを深刻なものにしないために論(執筆中)

ということは、日本で生きてる以上は政治とか福祉については100かゼロかで考えるべきじゃないってこと。

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それと、よくいる「自分の人生、100かゼロなんで!」とかっていうひとは、自身の人生と自身を想う人をないがしろにする人間であるおそれが濃厚ってことですね。それかその実100かゼロなんかじゃない人生おくってるんでしょ、かっこうつけて嘯くなよおバカさんだなあ。と思っています。