中條央崇(なかじょうひろたか)

精神障がい分野、精神疾患に由来する生活面の困りごとへの対処を得意とし、これまでの8年のキャリアで200人以上の精神科専科病院からの退院と街の中での暮らしへの復帰とその定着をアシスト、そのうち10人以上の就労復帰とその定着をアテンド。

平成27年、32歳のとき株式会社こころねを設立。
代表取締役として、相談支援センターくじら管理者を担いながら、多機能型事業所くじら(酒田市こあら)、就労継続支援B型しろくま(酒田市錦町)、グループホームくらげ(酒田市日吉町)を運営、15人の従業員と連携して106人の利用者さんの人生サポートに携わっている。

傍らクロスオーバーインストゥルメンタルバンド「MANAZASHI」のコルネット&鍵盤として精力的に活動中。


最終キャリアがそれぞれ〇〇県〇〇支庁地域保健福祉課の課長、〇〇市役所〇〇支所福祉課の課長という父母をもつ福祉行政サラブレッドな血筋。母の仕事につれていかれがてら福祉施設に幼いころから出入りし、世の中いろいろあるんだなと知る。

にも関わらず大学の進学先を社会福祉学部に定めたときには父からは猛反対を喰らい血で血を洗う激烈な闘争を経て進学。(今は仲わるくない。)

大学生のときに養護学校寄宿舎や、精神科病院を退院した人が暮らす援護寮などアルバイトを4年続ける。そのままそこに就職するルートもあったけれども「自分のエネルギー量では今はこの仕事、続けられないかも。」という不安が拭えずこの時点では挫折、そして卒業。かろうじて社会福祉士を取得。

東京の有料老人ホームの生活相談員、酒田に戻ってきての特別養護老人ホーム、デイサービス、ヘルパーステーションなど介護系の介護職員や相談員の仕事を細々と、挫折を繰り返しながら6年続ける。この間、併行して司法書士の試験を4年続けて志すも芽がでず。でも法や社会規範に疎かった自分にとって今このちょっとかじった知識が役になってるなと感じる。

28歳、仕事や色恋の記事にできないような切磋琢磨を経て、ある日『おれずいぶん図太くなったな。』『今なら精神障がいに関わる仕事ができる気がする。』と思いたち、障がい者相談支援センター〇〇へ福祉業界内転職。

まる3年、精神疾患や援助技術の勉強と実践をするも業界の未熟さかげんを身をもって知り「これは起業したほうが役に立てる」と痛感。
平成27年|32歳、7月こころね設立、10月多機能型事業所くじらと相談支援センターくじら運営開始。
平成30年|35歳、5月就労継続支援B型しろくま、グループホームくらげを開設。

平成29年ころは正直、くじらが福祉的・経営的に成功したから、酒田の、いや庄内圏内の、もしかしたらもっと広域で、精神障がいに関わる福祉職や行政の意識が変わり、良質な福祉サービスがどんどん増えて、ちゃんと勉強する人が増えて、切磋琢磨して高めあって…って想像をしていた。

甘かった。全っ然、変わらなかった。
しろくま、くらげと順調にきても今なお。

さてこれからどうしようかな…。

【令和2年4月5日 記】